短編歴史物エッセイ

女性天皇と女系天皇【前編】

2022年12月5日

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【前編】女性天皇

短編歴史エッセイ
短編歴史エッセイ

作家・神部龍章による短編歴史物エッセイです。広く知られていない歴史的事実などにスポットを当て、独自の視点から謎解きを展開しています。新作は「女性天皇と女系天皇」【後編】です。天皇家の歴史に着目し、筆者独自の視点から女系天皇について考察した上で、史実を踏まえた提言を行っています。歴史的事実を踏まえた活発な議論が必要です。

邪馬台国の場所を探る【2】
邪馬台国の場所を探る【2】

「自女王國以北、其戸數道里可略載、其餘旁國遠絶不可得詳。」(女王国より北は、世帯数や距離を大まかに記載することができるが、それ以外の国は遠く隔たっており、詳細はわかりません。)、原文から謎を解く。作者の意図を読むことが肝要。「すぐには行くことができない遠く離れたところにある国々というのは女王国に属する国々ではない。」

邪馬台国の場所を探る❶
邪馬台国の場所を探る❶

「魏志倭人伝」の原文を忠実に読み、筆者が何を伝えたかったのかを解明しながら、邪馬台国の場所の謎に迫ります。後漢の時代にすでに完成していた「周碑算経」という朝廷百官(文官)の天文学・測量学に関する教養書の原文が示す方法「1寸千里法」等を用い、魏志倭人伝の距離・方位を正確に検証し、邪馬台国の場所の特定を試みる新アプローチ!

女性天皇と女系天皇【後編】
女性天皇と女系天皇【後編】

「女系天皇」とは、母親が天皇家の血筋の方で父親が他家の血筋の方が天皇に即位した場合を意味します。初代の神武天皇から現在の今上天皇まで126代の天皇が即位され、全員「男系天皇」ですが、第29代欽明天皇は、母親から仁徳天皇以降のお血筋を受け継ぐことで、当時の社会においてもその正当性が受け入れられたという歴史的事実等を解説![…]

☆女性天皇と女系天皇【前編】
☆女性天皇と女系天皇【前編】

女性天皇と女系天皇、一字違うだけであるが意味は全く違う。歴史上、女性天皇は8名の方がいらっしゃった。現在の皇室典範では男系の男子が皇位を継承することが定められているが、これは歴史上の事実が軽視されている。過去の女性天皇がどのような経緯で即位されたのか、果たされたお役目は何かなどについて詳しく解説する[…]

☆足利義満と勘合貿易
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~明国皇帝に冊封を申し出た偉人~
1401年、義満は「日本国准三后源道義」と名乗り、明国に使節を派遣する。明国の第二代皇帝・建文帝から日本国君主として認められる。翌年1402年、明国から詔書には「日本国王源道義」と記され、また、義満自身も「日本国王臣源」として返書を送り明の冊封を受けた。冊封体制の成立である。日本と明国との間で勘合貿易が始まる […]

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~二人の米国人に対抗した日本の偉人たち~
老中阿部正弘は、ペリー来航から日米和親条約締結に至る歴史的難局を乗り切った。若くして難局を乗り切った歴史上の偉人だ。ペリーは浦賀の前に琉球王国を訪問していた。大老井伊直弼は、安政の大獄の印象が強い人物であるが、「横浜開港」に貢献した偉人だ。ハリス総領事の強力な主張に対し、既成事実を積み上げて押し切った […]

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~国際貿易で繁栄を極めた琉球王朝~
沖縄では「万国津梁の精神」という言葉がある。万国津梁之鐘にその記録が残ることに由来する。万国津梁とは「世界の架け橋」という意味だ。沖縄の発展や未来展望を語る際には欠かせない。琉球王朝は、国際貿易で大繁栄を極めた。その鍵は明国の朝貢貿易と冊封体制にある。なぜ小さな島の王朝が大繁栄したのか、その謎に迫る […]

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一、愛子内親王殿下

1.成年皇族の愛子さま

 愛子内親王殿下(愛子さま)は、2001年12月1日、今上天皇の長女としてお生まれになられました。2021年12月には20歳で成年皇族の一員になられました。愛子さまは、成年皇族となられた際に、「これからは成年皇族の一員として、一つ一つのお務めに真摯に向き合い、できる限り両陛下をお助けしていきたいと考えております。そして、日頃から思いやりと感謝の気持ちを忘れず、小さな喜びを大切にしながら自分を磨き、人の役に立つことのできる大人に成長できますよう、一歩一歩進んでまいりたいと思います」と述べられました。

 また、先日、宮内庁は「愛子さまが2024年4月から日本赤十字社(本社・東京都港区)の嘱託職員として勤務することが内定した」と発表しました。愛子さまは同庁を通じ「日頃から関心を寄せている日赤の仕事に携われることをうれしく思うと同時に、身の引き締まる思いが致します。これからも様々な学びを続け、一社会人としての自覚を持って仕事に励むことで、微力ではございますが少しでも人々や社会のお役に立つことが出来ればと考えております」との気持ちを示されました。

愛子さま 大学卒業後は日本赤十字社で嘱託職員として勤務

2024年1月22日 <<NHK WEBニュース>>

天皇皇后両陛下の長女の愛子さまは、大学卒業後のことし4月から日本赤十字社で嘱託職員として勤務されることが内定しました。

愛子さまは、学習院大学文学部日本語日本文学科の4年生で、ことし3月に卒業される見込みです。

その後の進路について、宮内庁は22日、愛子さまが4月1日から東京 港区に本社がある日本赤十字社で、嘱託職員として勤務されることが内定したと発表しました。

日本赤十字社は、全国各地に病院や血液センター、それに看護師などの養成施設を持つ認可法人で、全国に6万人余りの職員がいて、皇后さまが名誉総裁を務められています。

愛子さまは両陛下の活動や大学での授業などを通じて、日頃から福祉活動全般に関心を持っていて、去年10月には、両陛下とともに日本赤十字社を訪ねて、関東大震災での救護活動を振り返る企画展を鑑賞されていました。

こうした中で、日本赤十字社の活動に携わることを希望するようになったということで、皇族としての務めと両立するため嘱託職員として勤務されますが、具体的な仕事内容や勤務条件などは今後決まるということです。

愛子さまは側近を通じて「本年4月より日本赤十字社の嘱託職員として勤務することの内定をいただき、ありがたく思っております。日頃から関心を寄せている日赤の仕事に携われることをうれしく思うと同時に、身の引き締まる思いがいたします。これからもさまざまな学びを続け、一社会人としての自覚を持って仕事に励むことで、微力ではございますが、少しでも人々や社会のお役に立つことができればと考えております」とお気持ちを述べられました。

また両陛下も「愛子が日本赤十字社の嘱託職員として受け入れていただくことになったことを、ありがたく思います。この春から日赤の一員として仕事に従事することにより、多くの人のお役に立てるよう努力を続けるとともに、社会人の1人として成長していってくれることを願っています」と側近を通じてお気持ちを述べられました。

(以下省略)

(出典)NHK WEBニュースより

天皇皇后両陛下の長女 愛子さま 20歳の誕生日 成年皇族に

2021年12月1日 <<NHK WEBニュース>>

天皇皇后両陛下の長女の愛子さまは1日、20歳の誕生日を迎え、成年皇族となられました。愛子さまは「一つ一つのお務めに真摯に向き合い、できる限り両陛下をお助けしていきたい」と感想を述べられました。

愛子さまは、20歳の成年にあたり、文書で感想をあらわし「成年という一つの節目を無事に迎えることができましたことを嬉しく思います」と述べられました。

そして、これまでの日々を振り返り、「様々な方と出会い、関わることを通じて、人と人とが互いに手を取り合い、交流の輪が広がっていく素晴らしさを学び、全ての経験が、今、私の財産となっています。今日に至るまで私の歩みに関わってくださった全ての方に深く感謝いたします」と記されました。

そのうえで「これからは成年皇族の一員として、一つ一つのお務めに真摯に向き合い、できる限り両陛下をお助けしていきたいと考えております。そして、日頃から思いやりと感謝の気持ちを忘れず、小さな喜びを大切にしながら自分を磨き、人の役に立つことのできる大人に成長できますよう、一歩一歩進んでまいりたいと思います」と述べられました。

愛子さまは、感想の最後で新型コロナウイルスに触れ「多くの方が亡くなられたことに胸が痛みます。現在も大勢の方々が厳しい生活を送られていることと案じています」と記し、「全ての方に、平穏で彩り豊かな暮らしが一日も早く訪れることを願うとともに、また以前のように皆様とお会いし、お話できるようになる日を楽しみにしております」と結ばれました。

(以下省略)

(出典)NHK WEBニュースより

2.女性天皇の実現に向けた道

 愛子さまは、成年皇族となられた際に述べられたとおり、一つ一つのご公務に真摯に向き合い、両陛下をお助けし、ご自身も一歩一歩進んでいっておられます。

 愛子さまは、国民から深く尊敬・敬愛されている上皇さま、天皇陛下の直系のお血筋で、お人柄、ご品格、皇族としてのご自身のお立場に対するお考え、常に国民に寄り添っておられるお姿など、すべてが素晴らしく、私は個人的に次の天皇に一番ふさわしいお方であると思っており、その実現に向けた道が開かれることを願っている一人です。

 今回は「女性天皇と女系天皇」と題し、前編「女性天皇」、後編「女系天皇」として短編歴史物エッセイを手掛けることとしました。「女性天皇」と「女系天皇」、わずか一字違うだけですが、意味するところはまったく異なります。

 今回のテーマに関しては、まずは、歴史をよく知っていただくことが肝要だと考えておりますので、前編の「女性天皇」においては、過去に10代8名の女性天皇が実際にいらっしゃった事実を踏まえ、その歴史的背景等をできる限り詳しく説明したいと思います。また、後編の「女系天皇」においては、英国王室などと比較しながら、日本における歴史的背景などについて言及したいと考えています。

 これらのエッセイを通して「女性天皇の実現に向けた道が開かれること」について、お一人でも多くの方にご賛同いただけると幸いに存じます。

 

3.日本国憲法と皇室典範

 国民の皆さま全員がすでにご承知のとおり、愛子内親王殿下は皇位継承権をお持ちではありません。現在の皇位継承権については、第一位・秋篠宮皇嗣殿下(秋篠宮さま)、第二位・悠仁親王殿下(ひさひとさま)、第三位・常陸宮正仁親王殿下(常陸宮さま、現在の今上天皇の叔父様)の3名の方々となっています。

 日本国憲法第二条〔皇位の世襲〕に「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。」と定められています。皇室典範(昭和22年法律第3号)は、戦後、憲法の規定に基づき国会の議決した法律として制定されたものですが、内容は明治時代の1889年、大日本帝国憲法のもとで、旧皇室典範(明治時代のものは、法律ではなく、天皇家の家憲として定められていました)の流れを継承しています。

 皇室典範第一条に「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。」と定められており、明治時代になって皇位は男系の男子に限られることとなりました。明治時代に入り、天皇は立憲君主制の頂点に立ち、国を統率する方という位置づけであったことなどが重視された結果であると考えられます。

 現在の今上天皇は、初代の神武天皇から数えて第126代にあたられます。日本書紀に登場する神武天皇などにつきましては、「最初の頃の天皇は神話の中に登場する方ではないか」という説もありますが、いずれにせよ126代もの長きにわたり、天皇家のお血筋が続いているところに歴史の重みを感じます。

 上述のとおり、歴代の天皇のうち、女性天皇は10代8名の方がいらっしゃいました。この10代8名となっているのは、おふたりの女性天皇が2回即位されているからです。

 宮内庁のホームページ「天皇系図」に歴代の天皇に関する詳細な系図が掲載されています。エッセイの中でも、この資料を活用させていただきながら、女性天皇について紹介して参りたいと思いますが、読者の皆さま方におかれても、当該ホームページの資料を是非一度じっくりとご覧いただければ幸いです。

 さて、日本国憲法第一条〔天皇の地位と主権在民〕には「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」と定められています。特に、「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」というところが大切だと思います。国会議員や有識者の先生方に何もかもお任せするのではなく、私たち国民ひとり一人が関心を持って、「国民の総意」は何かということを考えることが重要であると思います。

 

歴代の女性天皇

1.第33代推古天皇

 即位された順に、歴代の女性天皇について紹介させていただきます。

 最初に「第33代推古天皇」についてです。父親が第29代欽明天皇(※短編歴史物エッセイの後半「女系天皇」において「父親はどなた?」という点が極めて重要になりますので、お一人ずつ丁寧に紹介させていただきます。皆さまにも宮内庁の天皇系図にてご確認いただければ幸いです。)、母親が蘇我稲目の娘(蘇我稲目はこの後登場する「蘇我馬子」の父で、当時の最有力豪族)です。在位592年~628年。

 推古天皇は、即位されてから75歳で崩御されるまでの36年間もの期間を治められました。

(出典)フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
推古天皇像(土佐光芳 画・叡福寺 蔵)より

 推古天皇の2代前の第31代用明天皇は、聖徳太子の父親に当たるお方で、585年に即位されますが、わずか2年後に病気にて崩御されます。その後、第32代崇峻天皇が即位されるのですが、当時権勢をふるう蘇我馬子と対立し、蘇我氏に暗殺されるという大事件が発生します。そうした状況の中、蘇我馬子に推挙された推古天皇が39歳で即位されたのです。我が国歴史上、最初の「女性天皇」の誕生です。

 かつてのお札の肖像でもあった有名な「聖徳太子」が摂政として推古天皇を支えました。推古天皇の在位中、太子が中心となって、「冠位十二階」の設定,「十七条憲法」の制定など、画期的な取り組みが行われました。

 推古天皇については、その当時の最大の権力者である蘇我馬子の意向が強く反映されて史上初の「女性天皇」が誕生したという経緯がある訳ですが、その治世は36年間にも及び、また、甥の聖徳太子の活躍などもあり、小学校の社会科教科書にも登場される著名な女性天皇のうちのおひとりです。

天皇系図(第27代~第33代)
宮内庁「天皇系図」より抜粋・一部加工

2.第35代皇極天皇・第37代齊明天皇

 皇極天皇は、父親が茅渟王(ちぬおう)という皇族で、第30代敏達天皇のひ孫にあたられます。推古天皇の後に即位された第34代舒明天皇の皇后でいらっしゃったが、舒明天皇の崩御後、642年に第35代天皇として即位されました。在位642年~645年。歴史上、二人目の女性天皇です。

 その時代は、蘇我蝦夷(そがのえみし、馬子の子)・入鹿(いるか、蝦夷の子)という父子が強権力をふるっており、蘇我氏は舒明天皇の崩御後、古人大兄皇子(ふるひとのおおえのおうじ、父親:舒明天皇、母親:蘇我馬子の娘)の即位を企てますが、反蘇我派がこれに対抗し、皇極天皇が即位されました。

 そして、645年、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ、後の天智天皇、父親:舒明天皇、母親:皇極天皇)と中臣鎌子(後の藤原鎌足(かまたり))らが、蘇我父子を打ち、蘇我氏を滅ぼしました。歴史上有名な「大化の改新」です。

 皇極天皇は、大化の改新の後、弟に譲位され、第36代孝徳天皇が即位されました。また、同時に息子の中大兄皇子を皇太子とします。654年、孝徳天皇が崩御され、本来であれば、皇太子の中大兄皇子がその後に即位されるところですが、皇太子の奏請により、母親が重祚されることとなり第37代齊明天皇が誕生しました。在位655年~661年。

 「重祚」とは、退位した天皇が重ねて践祚(せんそ)することを指し、「践祚」とは、皇嗣(こうし)が天皇の位を継承することを意味します。つまり、天皇に即位された方が譲位された後に、再び天皇に即位されることです。歴史上、重祚の事例は2件しかなく、1例目はこの事例です。そして、2例目はこのあと説明する第48代称徳天皇の事例であり、ともに女性天皇の事例です。

 

天皇系図(第30代~第38代)
宮内庁「天皇系図」より抜粋・一部加工

 歴史上、8名いらっしゃった女性天皇のうち、おふたりは2回天皇に即位されているのです。そして、長い天皇家の歴史の中で「重祚」された例はこれらお二人の女性天皇だけです。つまり、男性天皇には、おひとりも重祚された方がいっらっしゃらないという歴史上の事実にも、別の観点から歴史の重みを感じます。

 齊明天皇の在位中、朝鮮半島では新羅の勢力が強まり、友好国の百済から救援支援の要請を受け、661年、天皇自らが筑紫に出陣し、朝倉宮(現在の福岡県朝倉市)を本営とされ、朝鮮出兵の準備を進められましたが、同年7月に病のため崩御されました。自ら九州にまで出陣されたのです。すごいお方です。

 

3.第41代持統天皇

 持統天皇は、父親が第38代天智天皇で、第40代天武天皇の皇后でいらっしゃったが、天武天皇の崩御後、第41代天皇として即位されました。在位690年~697年。

 大化の改新を成し遂げた中大兄皇子は即位して第38代天智天皇となられ、天皇を補佐する実弟の大海人皇子(おおあまのおおじ、後の天武天皇)と政務を進めておられましたが、ご自身の息子の大友皇子(おおとものおおじ)が成長されるにつれ、次第に息子を後継者にすることを望まれるようになり、その結果、実弟の大海人皇子と確執が生まれることとなります。

 天智天皇は、息子に皇位を継承させるために「不改常典(ふかいのじょうてん、別の読み方に、かわるまじきつねののり、あらたむまじきつねののり)」を定められ、「皇位継承は嫡子相続が必定」とする考え方を明確に示されたと伝わります。

 天智天皇の崩御後、大友皇子(第39代弘文天皇)がその後を継がれ、この「不改常典」は、文章として残っていないものの、皇位継承について直系継承を規定した法としてみる説などが有力とされています。

 672年、大海人皇子らによる「壬申の乱」が起こり、大友皇子が自害され、勝利した大海人皇子が第40代天武天皇に即位されます。持統天皇は妻として夫の大海人皇子を助け、壬申の乱での勝利にも大きく貢献したと伝えられています。

 持統天皇は、天武天皇の崩御後に直ちに即位されたのではなく、ご夫婦には草壁皇子という息子がいらっしゃったので、皇子を助けておられましたが、689年、皇子がお亡くなりになられてしまいます。その後、飛鳥浄御原令を施行し、690年に即位され、諸制度を整備して、律令国家の確立に努められました。3人目の女性天皇の誕生です。

 694年、天武天皇が造営を始められた「藤原京」を完成させ、遷都を果たされます。藤原京は、我が国初の計画都市として造営された都です。我が国初の計画都市として造営された都は、女性天皇が成し遂げられました。

 持統天皇は、697年、皇位を孫の文武天皇(第42代天皇)に譲られますが、文武天皇がまだ15歳の若さで即位されたこともあり、自らは「太上(だいじょう)天皇」として文武天皇の政治を助け、「大宝律令」の編纂に取り組まれました。

 701年、大宝律令が制定されます。持統天皇は、夫の天武天皇のお考えを受け継ぎ、諸制度を整備し、律令国家の確立に努められることを生涯のご自身の果たすべきお役目として精力的に進めてこられ、遂に集大成の「大宝律令」を制定されたのです。

 持統天皇は、歴史上の一大事業を成し得た翌年に崩御されました。まさに、天皇を中心とする法典に基づく律令国家の礎を築かれた歴史上の偉人でいらっしゃった。上述の推古天皇と同様に、小学校の教科書にも登場される著名な天皇のうちのおひとりです。

 なお、百人一首において、女性の歌人は全部で21名いらっしゃりますが、ほとんどは宮仕えされている「女房」が多く、女性天皇としては唯一、持統天皇おひとりが採用されています。

「春すぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山」

天皇系図(第38代~第49代)
宮内庁「天皇系図」より抜粋・一部加工

 

(出典)フリー百科事典
『ウィキペディア(Wikipedia)』
「百人一首之内 持統天皇」

 

4.第43代元明天皇

 元明天皇は、父親が第38代天智天皇で、先ほど登場された草壁皇子(天武天皇と持統天皇の子)と結婚し、第42代文武天皇と第44代元正天皇の母親にあたられる方です。在位707年~715年。

 持統天皇が譲位され、若くして文武天皇が即位されたことについては上述しましたが、文武天皇はご病弱でいらっしゃったため、25歳で崩御されます。天皇には、首皇子(おびとのおうじ、後の聖武天皇)という方がいらっしゃいましたが、わずか6歳であり、直ちに即位されるには幼すぎました。

 ほかにも候補となられる方もいらっしゃったのですが、時の権力者の藤原不比等(藤原鎌足の子、持統天皇が手掛けた大宝律令の制定にも参画)は、文武天皇と自分の娘との間に生まれた首皇子の成長後の天皇継承を確保するため、天智天皇が定められた「不改常典」を掲げ「皇位継承は嫡子相続が必定」とする考え方を展開します。

 時の権力者の藤原不比等が天智天皇が定められた「不改常典」を掲げ「皇位継承は嫡子相続が必定」とする正論を展開されると、誰も異論を唱えることはできなくなった訳ですが、幼少の皇子が直ちに即位するということは現実的ではなかったため、いわば中継ぎ役として、崩御された文武天皇の母親である元明天皇が女性天皇として誕生しました。4人目の女性天皇の誕生です。

 元明天皇は、「不改常典」が示す「皇位継承は嫡子相続が必定」とする考えに基づき、それを実現させるというお役目を果たされました。元明天皇の在位中は、藤原不比等が政権を掌握し、政務を進め、708年、本格的な貨幣である「和銅開珎」の鋳造などが行われました。

 なお、長い天皇系図をじっくりご覧いただくと、「皇位継承は嫡子相続が必定」とする考え方については、これを基本としつつ、一方で、相当する継承者がいらっしゃらない場合などには、事実上、実現することができないなどの状況になり、いわゆる直系ではなく、傍系へと継承された場合も多くなっています。しかしながら、そのことを持ち出し、まるで傍系継承が正論であるかのように唱えることは、天智天皇のお考えに正面から異論を唱えているのと同じです。

 

5.第44代元正天皇

 元正天皇は、父親が草壁皇子、母親が元明天皇、36歳のときに母から譲位され、第44代天皇に即位されました。在位715年~724年。

 上述のとおり、第42代文武天皇が25歳で崩御された後、天皇の母親が第43代元明天皇として即位され、ご自身の孫の首皇子(後の聖武天皇)が成人するまでのいわば中継ぎ役を果たされましたが、715年に譲位されます。しかしながら、その時、首皇子がまだ15歳でいらっしゃったことから、元明天皇の長女である氷高皇女(ひだかのおうじょ)の落ち着いた考え深いお人柄が見込まれ、母親の後を引き継がれることとなり、第44代元正天皇として2代続いて女性天皇が即位されました。5人目の女性天皇の誕生です。

 元正天皇は、自分の母親である元明天皇の意向を引き継ぎ、先の天皇と同じく、いわば中継ぎ役として、天智天皇が定められた「不改常典」が示す「皇位継承は嫡子相続が必定」とする考えを実現させるためのお役目を果たされました。

 元正天皇の在任中、720年に藤原不比等が没し、不比等が強く望んでいた聖武天皇の即位を目にすることはありませんでした。翌年の721年には上皇(母親)もお亡くなりになり、政権の後ろ盾であったおふたりが相次いでお亡くなりになりましたが、その後は、長屋王という皇族が実質的に政務を担い、天皇をお支えしました。724年に譲位し、第45代聖武天皇が即位されました。

 聖武天皇は、仏教を厚く保護し、奈良の大仏を作った方として、小学校の教科書にも登場される有名な天皇ですが、お血筋について少し紹介させていただくと、男女を問わず、天皇としてのお血筋だけで拝見すると、天智天皇のお血筋を受け継ぐ方となります。

〇第38代天智天皇➡第43代元明天皇(天智天皇の娘)➡第42代文武天皇(元明天皇の息子)➡第45代聖武天皇(文武天皇の息子)

 しかしながら、男系天皇として男性のお血筋だけで解釈すると、天智天皇の弟の天武天皇のお血筋を受け継ぐ方となります。天皇家は男系天皇を歴代守ってきているので、こちらが正式な解釈となります。

〇第40代天武天皇➡草壁皇子(天武天皇の息子)➡第42代文武天皇(草壁皇子の息子)➡第45代聖武天皇(文武天皇の息子)

 したがって、天武天皇のお血筋を受け継ぐ方となります。

 さて、興味深い点がひとつあります。藤原不比等は、天智天皇が定められた「不改常典」を掲げ「皇位継承は嫡子相続が必定」とする考え方を展開し、聖武天皇の即位を確保しようとした訳ですが、男系天皇の考えに基づくと、天智天皇の直系ではない、天武天皇直系の方について、天智天皇のお考えを持ち出してその継承を唱えたことになります。お考えを都合よく利用しただけだったのか?少し複雑なお話となりますので、後編「女系天皇」にて詳しく解説します。お楽しみに。

天皇系図(第38代~第49代)
宮内庁「天皇系図」より抜粋・一部加工

 

6.第46代孝謙天皇・第48代称徳天皇

 孝謙天皇は、父親が聖武天皇、母親が光明皇后(藤原不比等の娘)との間にお生まれになった一人娘でいらっしゃり、21歳で初の女性皇太子となられます。32歳のときに聖武天皇が譲位され、第46代天皇に即位されました。在位749年~758年。6人目の女性天皇の誕生です。

 愛子さまも今上天皇の一人娘でいらっしゃいますので、お立場が似ておられます。皇室典範に女性天皇を除外する規定がなければ、21歳になられた愛子さまも孝謙天皇の場合と同じように女性皇太子となられてもおかしくないお立場です。

 さて、孝謙天皇の在位中、藤原仲麻呂(藤原不比等の孫)の権力が強まり、758年、仲麻呂が後見する皇太子の大炊王(おおいおう)に譲位され、大炊王は第47代淳仁天皇として即位されます。

 762年、孝謙上皇が病にふせったおりに、道鏡という僧が看病に当たり、病を癒したことから上皇の寵愛を得るようになりますが、これに反発した仲麻呂との間で対立が生まれ、その後、上皇と仲麻呂との対立は深まる一方となります。

(出典)フリー百科事典
『ウィキペディア(Wikipedia)』
「孝謙天皇」

 764年、藤原仲麻呂が反乱を企てますが失敗に終わり、結局、後ろ盾を失った淳仁天皇が廃され、孝謙上皇が重祚され、第48代称徳天皇として即位されました。歴史上2回目の重祚の事例です。在位764年~770年。

 称徳天皇は即位後、道鏡を太政大臣禅師に任じて政治に関与させ、さらに法王の位を授ける一方で、皇太子を定めなかったために混乱も続発したと伝わります。また、道鏡は皇位の継承まで望んだものと考えられていますが、770年に称徳天皇が崩御された後、下野薬師寺に左遷されました。

 称徳天皇の時代に、寵愛を受けた道鏡が恐れ多くも皇位の継承まで望むようなことがあったことなどが影響し、それ以降、江戸時代初期に第109代明正天皇が即位されるまでの長い期間、女性天皇が即位されることがなくなりました。

 

7.第109代明正天皇

 明正(めいしょう)天皇は、江戸時代初期の天皇で、父親が第108代後水尾天皇、母親が徳川秀忠の娘和子(東福門院)。在位1629年~1643年。第48代称徳天皇以降、860年ぶりに女性天皇が誕生しました。7人目の女性天皇の誕生です。

 後水尾天皇は、幕府からの朝廷に対する干渉に反発され、病気を理由に突如譲位されますが、そのとき、おふたりの皇子がいずれも早世されていましたので、850年以上続いた慣習を破り、内親王が第109代明正天皇として即位されたのです。850年以上続いた慣習を破るということはすごいことです。

 徳川幕府としては、徳川の血を引く天皇の実現を望んでいた訳ですが、後水尾天皇が突然内親王に譲位されるとは想定していませんでしたので、明正天皇が誕生したことは、幕府としても意外な出来事でした。

 明正天皇の即位により、天皇家と幕府の関係が一層深いものとなり、幕府の手厚い庇護の下、天皇を中心とする朝廷は幕府との関係を進めていくことになります。明正天皇は、天皇家と徳川幕府との関係を深めるためのいわゆる橋渡しとしてのお役目を果たされました。

天皇系図(第108代~第113代)
宮内庁「天皇系図」より抜粋・一部加工

 

8.第117代後桜町天皇

 後桜町天皇は、江戸時代中期の天皇で、父親が第117代桜町天皇で、第116代桃園天皇が崩御され、英仁(ひでひと)親王(後の後桃園天皇)がまだ幼少でいらっしゃったため、いわゆる中継ぎ役として、第117代天皇として即位されました。在位1762年~1770年。

 後桜町天皇は、歴史上10代8名いらっしゃった女性天皇の中で、最後の女性天皇となられた方です。1762年に即位されたので、今からちょうど260年前にあたります。

 なお、江戸時代末期において、1846年に第121代孝明天皇(生涯を通じて平安京で過ごした最後の天皇、明治天皇の父親)が即位されますが、孝明天皇は、1853年のペリー来航以降、激動の幕末において、数百年の伝統を破り、自ら口を開き、条約への反対を唱えられた方です。ちなみに、ペリー来航から横浜開港までのお話は、老中阿部正弘と大老井伊直弼をご参照願います。

天皇系図(第114代~第121代)
宮内庁「天皇系図」より抜粋・一部加工

女性天皇のまとめ

1.女性天皇が果たして来られた大きな役割

 歴史上10代8名いらっしゃった歴代の女性天皇について、それぞれ即位されたときの状況・歴史的背景、在任中の出来事などを説明させていただきましたが、ご覧いただいてどのようなご感想を持たれたでしょうか。

 それぞれ異なる背景の中、歴代の女性天皇が果たして来られた大きな役割を整理してみると、

  • 推古天皇や持統天皇のように小学校の教科書にも登場される歴史上の偉人がいっらしゃったこと
  • 天皇系図にて「重祚」とよばれる事象はわずかに2回しかないが、この2回がいずれも女性天皇の即位であったこと(第35代皇極天皇・第37代齊明天皇、第46代孝謙天皇・第48代称徳天皇)
  • 天智天皇が定められた「不改常典」のお考えにもとづき、「皇位継承は嫡子相続が必定」とする考え方を展開し、いわば中継ぎ役としてのお立場を果たされ、ご活躍された女性天皇(元明天皇、元正天皇、後桜町天皇)がいらっしゃったこと
  • 江戸時代初期に徳川家の血筋を引く明正天皇が即位され、朝廷と幕府との関係を強化されたこと

など、そのほかにも様々な重要な役割を果たして来られたことがわかります。

 一方で、称徳天皇の時代に、寵愛を受けた道鏡が恐れ多くも皇位の継承まで望むようなことがあったことなどが影響し、それ以降、江戸時代初期に第109代明正天皇が即位されるまでの長い期間、女性天皇が即位されることがなくなったという歴史も重く受け止める必要があります。ただし、称徳天皇の治世を引き合いに出して、女性天皇はふさわしくないと決めつける方がもしいっらしゃるとすれば、それは、あまりにも女性皇族に対して失礼な考え方だと思います。

 

2.女性天皇に否定的な方のご意見

 女性天皇に関する専門家の先生方のご意見等を調べていたところ、次のような資料を見つけましたので、読者の皆さまのご参考までに内容を一部引用させていただき紹介いたします。なお、本件引用出典欄にリンクを付してありますので、さらに内容にご関心がある読者の方々におかれましては、直接当該資料を参照ください。

 資料の中で、「女性天皇」に関する箇所には、筆者が赤色表記とさせていただきました。

令和 3 年 4 月 8 日(木)
「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議」に関する有識者会議にお
ける有識者ヒアリング意見陳述      麗澤大学教授 八木秀次

(中略)

女性天皇や女系継承、女性宮家が適当でなく、男系継承が現行憲法で許される理由
●皇室典範制定当時の政府見解
「皇統を男系に限ることは憲法違反となるか」(宮内省、昭和 21 年 7 月 25 日)(注1)
「皇室典範案に関する想定問答」(法制局、昭和 21 年 11 月)(注2)
●ポイント
・憲法 2 条にいう「世襲」とは、必ずしも血縁を必要としない歌舞伎などの世襲とは異なり、あくまで「皇位の世襲」であって、それは男系継承を意味している。➡この理解によれば、女系継承を行う際には憲法改正が必要となる。
・女系継承はそもそも「皇位の世襲」としては観念されていない。
・女系継承が問題となるのは、皇族女子が皇族以外の者と結婚し、子を儲けた際、その子は一般的には夫の子と観念され、皇室の血統が夫の系統に移ったと観念されることにある。
・そのような意味で、女系継承を認めないとすれば、皇族女子が天皇に即位すること(女性天皇)に意味はない。
それでも天皇に即位するとすれば、皇位継承の安定とは関係なく、男子天皇の即位を一代だけ先延ばしするだけの役割となる。
・「皇位の世襲」を規定した憲法 2 条は「法の下の平等」を規定した憲法 14 条 1 項の例外をなし、女系継承を排除することは憲法 14 条 1 項に違反しない。
女性天皇は歴史上、男子天皇の即位を一代だけ先延ばしにして男系継承を行うための「中継ぎ」であり、女性天皇を排除しても憲法 14 条 1 項に違反しない。
・以上のことから、皇位継承資格を「皇統に属する男系の男子」に限定しても憲法には違反しない。

(以下省略)

(出典)PDF版資料『令和 3 年 4 月 8 日(木)、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議」に関する有識者会議における有識者ヒアリング意見陳述 麗澤大学教授 八木秀次』より

 

 今回の短編歴史物エッセイ「女性天皇と女系天皇【前編】」においては、女性天皇に関してのみ言及していますので、関係箇所のみをピックアップしてみましたが、「皇族女子が天皇に即位すること(女性天皇)に意味はない。」「それでも天皇に即位するとすれば、皇位継承の安定とは関係なく、男子天皇の即位を一代だけ先延ばしするだけの役割となる。」などと明言されておられ、かなり激しい表現となっています。

 有識者会議における有識者ヒアリング意見陳述となっていますので、有識者の方々への説明だと思いますが、しかし、この人がもし愛子さまに説明することを求められたら、「愛子さまの目の前で同じことが説明できるのだろうか?」と強い違和感を感じます。

 筆者としては、私たち国民の多くがまったく何も知らされていないところで、こんな説明を聞いた上で有識者の皆さま方が議論されているという事実を知り、資料に言及されている内容云々の前に、その事実に唖然としましたが、読者の皆さまはどのようなことを感じられたでしょうか?

 繰り返しになりますが、日本国憲法第一条〔天皇の地位と主権在民〕には「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」と定められています。「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」というところが大切です。

 国会議員や有識者の先生方に何もかもお任せするのではなく、私たち国民ひとり一人が関心を持って、「国民の総意」は何かということを考えることが重要であると思います。

 

3.女性天皇に関する筆者意見

 本稿のはじめに書いたとおり、愛子さまは、国民から深く尊敬・敬愛されている上皇さま、天皇陛下の直系のお血筋で、お人柄、ご品格、皇族としてのご自身のお立場に対するお考え、常に国民に寄り添っておられるお姿など、すべてが素晴らしく、私は個人的に次の天皇に一番ふさわしいお方であると思っており、その実現に向けた道が開かれることを願っている一人です。

 しかしながら、歴史というものは、自分自身の主義主張を有利にするなどの目的で研究すべきものではなく、客観的にひとつひとつ調べた上で、先人の方々のご活躍やご苦労などに思いを馳せつつ、私たち自身が将来に向かってどうすべきかを考える上で、指針を示してくれるものだと思っています。

 今回、女性天皇について、執筆し、改めて思いましたが、やはり、歴史上10代8名の女性天皇が実際にいらっしゃったことを重く受け止め、そして、それぞれの時代の中で、重要なお役目を果たして来られたことについて敬意を持って思いを馳せると、現在の皇室典範第一条に「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。」と男子のみに限定していることは極めて不自然だと思料します。

 少なくとも、皇室典範第一条は「皇位は、皇統に属する男系の男女が、これを継承する。」と改めるべきだと考えます。「男子」を「男女」に改めると、女性天皇については、成立します。長い歴史と伝統を誇る我が国皇室における女性天皇の歴史をきちんと受け止めるべきです。歴史的事実を踏まえず、明治時代以降の考え方だけを主張するのは、皇室を敬愛し、歴史を研究する国民の一人として受け入れることはできません。

 読者の皆さま方はいかがお考えでしょうか。もちろん、「十人十色」です。ただし、一番重要なことは、私たち国民ひとり一人が関心を持って、「国民の総意」は何かということを考えることが重要であると思います。

ゴーヤン
ゴーヤン

短編歴史物エッセイ「女性天皇と女系天皇」【前編「女性天皇」】をご覧いただき、誠に有難うございます。
【後編「女系天皇」】もぜひご覧ください!

 

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