【コラム】言葉の伝達について考える(第2回)
今回の題材
2022年11月16日(水)、参院政治倫理・選挙制度特別委員会が衆院小選挙区定数「10増10減」を反映した公選法改正案を賛成多数で可決したことを受け、以下のようなニュースが配信された。
10増10減、18日にも成立 改正法案を可決、参院特別委
11/16(水) 14:55配信 KYODO
参院政治倫理・選挙制度特別委員会は16日、衆院小選挙区定数「10増10減」を反映した公選法改正案を賛成多数で可決した。区割り見直しの対象は25都道府県、140選挙区でいずれも過去最多。比例代表ブロックも3増3減する。18日にも参院本会議で可決、成立する見通しだ。
衆院「1票の格差」は現行の2.096倍から1.999倍に縮小する。10増10減は、2020年国勢調査に基づき、人口比を正確に反映するとされる議席配分方式「アダムズ方式」で算出された。
(出典) Yahoo!Japanニュースより
Yahoo! Japanニュースは、掲載された記事に読者が自由にコメントを投稿できる仕組みになっており、世間で関心の高い記事には読み切れないほどの多くのコメントが寄せられ、掲載されている。そのほとんどが匿名でのコメントであるが、中には写真付きで氏名と職業を明かした上で、コメントを寄稿されている方々もいらっしゃる。
個人の方のコメントについては本稿の題材とさせていただくのは遠慮させていただくべきであるが、こうした方々のご意見は、いわゆる公開された評論として扱われており、Yahoo! Japanニュースの中でも、記事が読者にとって参考になったかどうかを示す「参考になった」欄が設けられているので、記事と不可分の取り扱いであると考え、職業名と記事の内容に限定して題材としてご紹介したい。
選挙コンサルタント・政治アナリスト
当初は難航が想定された10増10減でしたが、臨時国会では(政府与党の不祥事による国会運営の厳しさとは裏腹に)すんなり成立する見込みです。政争の具とせずに、粛々と答申通りの可決がされることは良いことです。
ただ、根本的な議論である「地方選出議員が本当にこのまま減って、国会議員まで東京一極集中でいいのか」という議論は絶やすべきではありません。東京都は小選挙区が5増し、30の小選挙区が誕生します。一方で地方の都道府県では小選挙区が2つしかないところもあり、地方の声を国会に反映させる仕組みがますます遠のいています。憲法改正論議も進むなか、国会議員の役割、衆参議院の役割を見直し、選出方法について国民全体が本質的な議論を行う時期に来ているはずです。
(出典) Yahoo!Japanニュースより
さて、今回は、【コラム】言葉の伝達について考える(第2回)として、表裏一体の事柄について、「表」だけを述べる話術について解説したい。
最初にお断りしておくが、このコラムは、政治・社会問題に関する論評ではなく、「言葉の伝達」という観点で論じているので、誤解なきようにお願いしたい。
言葉の伝達
「一票の格差」の意味
今回の題材として取り上げた記事は、いわゆる「一票の格差」をテーマとしている。まず、「一票の格差」について意味を調べたところ、以下のように掲載されていた。
デジタル大辞泉「一票の格差」の解説
選挙で、一人の議員が当選するために必要な得票数が選挙区によって異なること。そのため、有権者の一票の価値に格差が生じることをいう。→定数不均衡
[補説]選挙区の有権者数を議員定数で割った「議員一人当たりの有権者数」が最も多い選挙区Aで50万人、最も少ない選挙区Bで20万人だった場合、一票の格差は2.5倍で、選挙区Aの有権者が持つ一票の価値は選挙区Bの有権者の半分以下(5分の2)となる。こうした格差は、憲法が保障する法の下の平等に反するとして、選挙の無効を求める訴訟が繰り返し提起されている。最高裁判所は、著しい格差(衆院選で3倍、参院選で6倍以上など)が生じた場合に、違憲あるいは違憲状態とする判断を示しているが、事情判決の法理により選挙は有効としている。百科事典マイペディア「一票の格差」の解説
国政選挙などで有権者の票の価値が,選出される議員一人当たりの有権者数によって異なり,有権者数が少ないほど価値が増し,多数になるほど価値が下がる現象。選挙区の区割りや議員定数の変更などの調整が求められているが,日本の国会の場合,調整はきわめて不十分なまま推移している。2011年3月,最高裁判所大法廷は,09年の衆議院選挙における一票の格差は,憲法違反の状態という判決を示した。その後,一票の格差が最大で2.43倍だった2012年の衆議院選挙についても,2013年3月,弁護士グループが起こしていた無効(やり直し)訴訟16件で,14件について〈違憲〉とする各高裁の判決が出そろい(うち2件は〈選挙無効〉の判決),国会はまったなしの選挙改革を迫られている。
(出典)コトバンク「一票の格差」より
これらの解説を読むと、一票の格差の問題については、憲法が保障する法の下の平等に反するとして、選挙の無効を求める訴訟が繰り返し提起されており、最高裁判所は、著しい格差が生じた場合に、違憲あるいは違憲状態とする判断を示しているということがわかる。
つまり、最高裁判所の判断は、一票の格差を完全に解消すべきとまでは言っていないが、著しい格差が生じた場合には違憲あるいは違憲状態とする判断を示しているので、私たち国民一人一人が意識して格差是正に取り組む必要があることがわかる。
「一票の格差」を身近な例で考える
上述の「一票の格差」に関する引用記事をご覧いただくと、やはり説明が難しいなあ~という印象ではないだろうか?そこで、少し身近な例をあげて具体的に考えてみたい。
ある町内会では、町内の一丁目、二丁目及び三丁目からそれぞれ代表者が町内会の委員となり、町内のいろいろなことを話し合って決めているとする。住民の数は一丁目、二丁目及び三丁目ともに、ほぼ同じと仮定すると、容易に想像できることは、それぞれの代表者の数は同じだろうと誰でも考える。
しかし、ここで、一丁目には大きなお屋敷も多いので委員数は5名、二丁目と三丁目の委員数はそれぞれ2名ずつとすると決められた場合、どうだろうか?住民の数に対する格差は5割る2で2.5倍だ。
誰でもおかしいと感じると思う。この割当ての場合、全部で委員は9名、うち一丁目が5名だと、いつも一丁目の意見が町内の意見となってしまうことになる。そう、不公平である。
そこで、町内で長年貢献してきた方が「著しい格差はおかしいので、それでは格差は2倍までとしたらどうでしょう。」と提案され、一丁目の委員数を一人減らして4名、二丁目と三丁目の委員数はそれぞれ2名ずつとすると決められたと聞いて、どう感じるだろうか?
上述の10増10減のニュースにも記載されているとおり、衆院「1票の格差」は現行の2.096倍から1.999倍に縮小するとされており、限りなく2倍に近いが2倍ではないということだ。町内会の例では「2倍」の格差はかなり大きい。
もちろん、「国政選挙とこの町内会の例は次元が違う」などのご意見もあるかと思うが、「一票の格差って何?」と聞かれると、このように説明するとわかりやすいので、あえて例として挙げている。
表裏一体の「表」とは
「一票の格差」については、言葉の意味することや課題・問題点などについてもご理解いただけたと思うので、今回の本題へと進みたい。上述で引用させていただいた選挙コンサルタント・政治アナリストの方のご意見を拝見すると、
『ただ、根本的な議論である「地方選出議員が本当にこのまま減って、国会議員まで東京一極集中でいいのか」という議論は絶やすべきではありません。東京都は小選挙区が5増し、30の小選挙区が誕生します。一方で地方の都道府県では小選挙区が2つしかないところもあり、地方の声を国会に反映させる仕組みがますます遠のいています。』と述べておられる。
「確かにおっしゃるとおりだ。」と賛同される方々も多いと思う。「一票の格差」の議論を聞いていると必ず同様のご意見が出て来る。しかしながら、ここであえて取り上げたいことは、「地方の声を国会に反映させる仕組みがますます遠のいています」とのお声を反映させようと考えると、自動的に「一票の格差」の是正が進まなくなるのだ。要するに「一票の格差は容認すべき」と言っていることと同じ訳だ。
つまり、「地方の声を国会に反映させる仕組みを現行の仕組みで維持しましょう」という意見には常に「一票の格差は容認しましょう」という考えがついて回るところが重要である。これらは切っても切り離すことができないので、いわゆる「表裏一体」となっているのだ。
「地方の声を国会に反映させる仕組みを現行の仕組みで維持しましょう」が「表」だとすると、「一票の格差は容認しましょう」についてはお話の中で出て来ないので「裏」となる。
表裏一体の「表」だけ述べる話術とは
表裏一体の「表」だけ述べる話術とは、ある論点を述べるときに、「表」のところだけを強く主張し、一方で「裏」の部分は一切言及しない方法だ。私の個人的な定義付けである。
例えば、「地方の声を国会に反映させる仕組みを現行の仕組みで維持しましょう」と強く主張している方に、「それでは、一票の格差は容認すべきというお考えですね?」と聞いてみると、「私は一言もそんなことは言っていない。」と怒られるかもしれない。確かに一言も言っていない。
しかし、言及するかどうかは本来、無関係である。繰り返しになるが、「地方の声を国会に反映させる仕組みを現行の仕組みで維持しましょう」という意見には常に「一票の格差は容認しましょう」という考えがついて回るところが重要であり、これらは切っても切り離すことができないので、いわゆる「表裏一体」となっている点が肝要である。つまり、言及するかどうかは無関係である。
まとめ
情報化社会では、多数の情報が氾濫し、中には「フェイクニュース」と呼ばれる悪質なものもあると言われているが、さらに気を付けるべきことは、表裏一体の「表」だけ述べる話術を多用する人が多いことだ。
表裏一体の「表」だけ述べる話術を多用する人は、話し方も上手なので「なるほど、もっともだ」と賛同する場合も多いと思うが、表裏一体となっている事項には、決して言及しない「裏」の部分が付いて回ることを意識して聞くようにすれば、情報を判断するときに役立つ。
聞き手としては、「表裏一体となっている事項はないか?」と考え、もし、そのことを発見したときには、話し手が「裏」の部分を言及するかどうかに着目してほしい。「裏」の部分を言及しない人に対しては、いわゆる「裏表がある人」といった表現があるが、そうかもしれないので、「何事も鵜呑みにしない」ことが肝要だ。
最後に
今回の題材で使用した引用ニュースに対しては、以下のとおりコメントを出したので、ご参考まで。
神部龍章
選挙コンサルタント・政治アナリストの方が『「地方選出議員が本当にこのまま減って、国会議員まで東京一極集中でいいのか」という議論は絶やすべきではありません。』と言っておられますが、本当にそうでしょうか?確かにこうしたご意見を聞く機会は多くあり、誰もがそうだなあ~と思いがちですが、この意見の背景には「一票の格差を容認すべし」という主張が隠れています。「私はそんなことは一言もいっていない」とおっしゃる方もいらっしゃるかもしれませんが、論理的に考えると両者は表裏一体となっていますので、「一票の格差を是正する」ならば、残念ながら「地方の意見が・・」は成り立ちません。地方の声を国会に反映させる仕組みがますます遠のいてしまうとのお声もありますが、これまで大きな一票の格差がある状態で、お声が反映されていたはずですが、なぜか東京一極集中となり、地方が弱くなってきています。格差が足りなかったのでしょうか?
(出典)Yahoo!Japanニュース・コメント欄より
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