論文『女性天皇と女系天皇』
歴史上1度だけ皇位継承の危機があった。57歳まで地方豪族であった第26代継体天皇は第15代応神天皇の5世孫で、朝廷からの要請を受け天皇に即位されたが、人々に受け入れられなかった。皇室直系の血筋を持つ手白香皇后との間に生まれた皇子が成人し、第29代欽明天皇が誕生し、ようやく安定した。つまり、欽明天皇は「女系天皇」である。
【論文】『邪馬壹國の場所を探る』
令和6年12月4日、神部龍章は学術論文『邪馬台国の場所を探る』を発表。邪馬壹國は、鹿児島県東部(大隅半島)から宮崎県南部にかけて存在したと結論。最も有力な候補地は、宮崎県の西都原古墳群あたりと推定。「科学的根拠」から迫るアプローチと「文献解読」から迫るアプローチを重ね合わせることで邪馬壹國の場所の特定が完成。
倭の五王❸『古事記』の解読による検証
『古事記』の解読による検証。宮内庁ホームページ「天皇系図」の古代歴代天皇の在位期間は、基本的に日本書紀の記述に基づいていますが、『宋書』倭国伝の解読による検証でご説明したとおり、これらは倭の五王に関する記録と全く一致しません。そこで、『古事記』に着目し、詳しく記述内容を紹介しつつ、『宋書』との対査を試みます。
倭の五王❷『宋書』の解読による検証!
倭の五王のうち、第19代允恭天皇が「済」、第20代安康天皇が「興」、第21代雄略天皇が「武」である。中国古代史書『宋書』の中に「夷蛮伝」があり「倭国伝」はその一部。主な内容は宋朝に対する倭国王の朝貢と任官。倭の五王が朝鮮半島の覇権を視野に入れ、頻繁に宋朝に朝貢し、皇帝から任官されている様子が記載されている。
倭の五王❶古代天皇の寿命の謎に迫る!
『宋書』に登場する倭国の5代の王は、「讃」「珍」「済」「興」「武」という名前で登場。日本古代の歴代天皇を指しますが、具体的に「どなたか?」は所説あります。本連載では、「宋書」の原文を忠実に読み、歴史的背景を整理しながら、倭の五王の謎に迫り、様々な観点から古代日本の年号が西暦何年なのかを解明して参ります。
邪馬台国の場所を探る❺(最終回)
『魏志倭人伝』の原文を忠実に読み、筆者が何を伝えたかったのかを解明しながら、邪馬台国の場所の謎に迫って参りましたが、大変お待たせしました。女王卑弥呼がいた邪馬台国、その女王国に従う国々を監察する伊都國、そして倭国の規模、さらに、女王国の南方に位置し、敵対する狗奴國の位置関係を作図することで明らかにいたします。
邪馬台国の場所を探る❹
『魏志倭人伝』に詳細に記載されている倭人の生活習慣や倭国の自然、そして諸国を観察する様子に触れた後、いよいよ卑弥呼が登場。親魏倭王・卑彌呼への「みことのり」、下賜された品々とそれらの意義、正始元年以降の出来事を経て、正始8年(西暦247年)卑弥呼が死亡します。そして、最後は彼女の死後の様子が描かれています。
邪馬台国の場所を探る❸
『魏志倭人伝』の内容を吟味するには、中国の古代歴史故事をしっかりと踏まえる必要があります。ある一節の中で「邪馬台国」の場所を書き表していたのです。これを読み解くには、きちんと中国古代の歴史故事を踏まえつつ、後漢の時代には確立していた「周碑算経」の中に登場する「一寸千里法」を使えば解決できるものだったのです。
邪馬台国の場所を探る❷
「自女王國以北、其戸數道里可略載、其餘旁國遠絶不可得詳。」女王国より北は、世帯数や距離を大まかに記載することができるが、それ以外の国は遠く隔たっており、詳細はわかりません。原文から謎を解く。作者の意図を読むことが肝要。すぐには行くことができない遠く離れたところにある国々というのは女王国に属する国々ではない。
邪馬台国の場所を探る❶
『魏志倭人伝』の原文を忠実に読み、筆者が伝えたかった事実を解明し、邪馬台国の場所の謎に迫ります。後漢の時代にすでに完成していた「周碑算経」という朝廷百官(文官)の天文学・測量学に関する教養書の原文が示す方法「1寸千里法」等を用い、魏志倭人伝の距離・方位を正確に検証し、邪馬台国の場所の特定を試みる新アプローチ!
女性天皇と女系天皇【後編】
「女系天皇」とは、母親が天皇家の血筋で父親が他家の血筋の方が天皇に即位した場合を意味します。初代の神武天皇から現在の今上天皇まで126代の天皇が即位され、全員「男系天皇」ですが、第29代欽明天皇は、母親から仁徳天皇以降のお血筋を受け継ぐことで、当時の社会においてもその正当性が受け入れられたという歴史的事実等を解説!
女性天皇と女系天皇【前編】
女性天皇と女系天皇、一字違うだけであるが意味は全く違う。歴史上、女性天皇は8名の方がいらっしゃった。現在の皇室典範では男系の男子が皇位を継承することが定められているが、これは歴史上の事実が軽視されている。過去の女性天皇がどのような経緯で即位されたのか、果たされたお役目は何かなどについて詳しく解説。
足利義満と勘合貿易
~明国皇帝に冊封を申し出た偉人~
1401年、義満は「日本国准三后源道義」と名乗り、明国に使節を派遣する。明国の第二代皇帝・建文帝から日本国君主として認められる。翌年1402年、明国から詔書には「日本国王源道義」と記され、また、義満自身も「日本国王臣源」として返書を送り明の冊封を受けた。冊封体制の成立である。日本と明国との間で勘合貿易が始まる。
阿部正弘と井伊直弼
~二人の米国人に対抗した日本の偉人たち~
老中阿部正弘は、ペリー来航から日米和親条約締結に至る歴史的難局を乗り切った。若くして難局を乗り切った歴史上の偉人だ。ペリーは浦賀の前に琉球王国を訪問していた。大老井伊直弼は、安政の大獄の印象が強い人物であるが、「横浜開港」に貢献した偉人だ。ハリス総領事の強力な主張に対し、既成事実を積み上げて押し切った 。
琉球王朝の歴史
~国際貿易で繁栄を極めた琉球王朝~
沖縄では「万国津梁の精神」という言葉がある。万国津梁之鐘にその記録が残ることに由来する。万国津梁とは「世界の架け橋」という意味だ。沖縄の発展や未来展望を語る際には欠かせない。琉球王朝は、国際貿易で大繁栄を極めた。その鍵は明国の朝貢貿易と冊封体制にある。なぜ小さな島の王朝が大繁栄したのか、その謎に迫る 。
作家・歴史研究家の神部龍章による論文
皆さま、こんにちは。作家・歴史研究家の神部龍章です。令和7年3月15日、神部龍章による論文『女性天皇と女系天皇』を発表させていただきました。「神部龍章の部屋」における短編歴史物エッセイ《連載・女性天皇と女系天皇(前編・後編)》と合わせてご一読いただければ幸いです。
論文の概要
愛子内親王殿下(愛子さま)は、国民から深く尊敬・敬愛されている上皇様、天皇陛下の直系のお血筋であり、お人柄、ご品格、皇族としてのご自身のお立場に対するお考え、さらには常に国民に寄り添っておられるお姿など、すべてが素晴らしいお方である。憲法が定める「国民の象徴」としてのお立場を率先して実践されてきた上皇様や今上天皇のお考えをしっかりと受け継がれており、次の天皇に一番ふさわしいお方である。国民の大多数の皆さま方が心の中では女性天皇の実現を望んでおられるのではないかとも思料する。しかし、すでに皆様ご承知のとおり、愛子さまは皇位継承権をお持ちではない。ただし、政府見解では「憲法においては、憲法第二条に規定する世襲は、天皇の血統につながる者のみが皇位を継承するということと解され、男系、女系、両方がこの憲法においては含まれるわけではない。」と明確に答弁している。すなわち、女性天皇だけでなく、女系天皇であっても憲法上何ら問題はない。
初代神武天皇から現在の今上天皇まで126代の天皇が即位されており、その中で女性天皇8名が実在した。770年、稱德天皇の崩御後、道教問題の教訓等により、女性天皇が一切擁立されない時代が続いたが、1629年、後水尾天皇が江戸幕府からの干渉を嫌い突如退位され、860年ぶりに女性天皇が復活した。江戸時代に女性天皇が一度復活した事実は見逃せない。現在こそが女性天皇の再復活のときだ。現在の皇室典範における皇位継承の規定は、史実に反する合理的な説明のできない規定だ。少なくとも「皇位は、皇統に属する男系の男女が、これを継承する。」と改め、女性天皇を認めることが必要不可欠だ。
「女系天皇」とは、天皇の男女を問わず、その母親が天皇家の血筋の方で、かつ父親が他家の血筋の方の場合、その方が天皇に即位された場合の天皇のことを意味する。つまり、母親だけが天皇家の血筋の方をいう。初代神武天皇から現在の今上天皇まで126代の天皇が即位されたが、全員「男系天皇」(父親が天皇家の血筋の方)のため、歴史上女系天皇は一人もいない。皇位は、男系継承が固く守られ、一つの系統の血筋が受け継がれているとされており「万世一系」の考え方を基本とする。男系継承の極めて長い歴史上の重みは誰もが無視できない。
歴史上1度だけ皇位継承の危機があった。57歳まで地方豪族として在野にいらした第26代継体天皇は、突然、朝廷からの要請を受け天皇に即位された。第15代応神天皇の5世孫とされるが、『日本書紀』の記述によれば、即位後20年間もの期間、他の場所で過ごされた。皇室直系の血筋を持つ手白香皇后との間に生まれた皇子が成人し、第29代欽明天皇が誕生し、天皇家直系のお血筋を引く方であるという理由で受け入れられた。その考え方に基づくと、欽明天皇は「女系天皇」であるということになる。大和の人々の心情として重要であったことは、男系男子云々ということではなく、天皇家直系のお血筋を引く方であるか否かという点であった。つまり、天皇家直系のお血筋を引いていることが優先されたのだ。
将来的には男系男子に該当する方は悠仁親王さまお一人となる。したがって、今後の皇位継承を安定させるには、一定のスピード感をもって臨む必要がある。なぜならば、現在、皇室を守っておられる方々は限られている。かつては、一夫多妻制のもと、天皇家においても、現在と比べると男子の子宝に恵まれる機会は圧倒的に大きかったが、現代社会では一夫多妻制が認められることは絶対にありえない。代々必ず子宝に恵まれ、男子のみが皇位を脈々と継承するという考えは成り立たない。皇室の安定した将来が見通せなくなってしまう。現在、上述の皇位継承の危機があった時代よりもさらに厳しい状況にあることを直視すべきだ。継体天皇のような男系男子の遠縁のお血筋の方は、孝明天皇(明治天皇の父親)までさかのぼっても誰もいらっしゃらない。
私は、歴史を探求する目的は、過去の経験や教訓を活かし、将来の指針とすることにあると考える。女系天皇も実際に存在されたのであれば、何の躊躇も必要ない。重要なことは「国民的議論」である。